泊のまち歩き企画「ブラトマリ」開催しました!
ご参加下さった皆さま、ありがとうございました。
地形や古い地図をもとに、新たな見方でまちの成り立ちに想像を膨らませながら、みんなでおもしろがろう♪
今回は、加賀藩直轄の都市計画で造られたまち、泊の五叉路から脇子八幡宮までを歩きました。
柳下先生、本村先生、常光寺の桑守住職、郷土のことを研究しておられる素晴らしい皆さんと、さぁ次はどこを歩こうかワクワクします♪
タモリさんが朝日町においで下さるまで続けます!
次回開催もお楽しみに〜(^O^)/

イントロダクション。
みんなのなぜ、どうして、感じる、気付くを大切にして、教えてもらうんじゃなくて、みんなで想像しあっておもしろがろう!

柳下先生のお話し。
「泊の地形がおもしろい」の本は、朝日町図書館にあります。

泊のまちが元屋敷にあった時代、何度も高波の被害に合い、加賀藩から沼保村、荒川新村に領地換えを仰せつけられ、村々がどうすればいいか書かれた書面。

加賀藩の都市計画で泊町が移転したエリアを色塗り。
今回は、ここを巡ります。

フィールドナビゲーターは本村先生。
先ずは、グループごとに自己紹介。
参加者の気付きを促すナビゲーション、さすがでした!

北陸道の愛本へ向かう上街道、入善へ向かう下街道の合流地点。
泊駅へ向かう道は、1910年に作られて五叉路に。

スタートして最初のびっくり!
水路の水は、どっちに流れている?
右!あれ?左!?
上流から垂直に来た水が、左右へ分水している箇所が何ヶ所もあります。
上流からくる溢れた水を受け止め、さっと左右に流して下流を守る、そんな排水計画なのだろうと想像。

妻入りと平入りの家。
商家の間口は3間。
当時の大工さんは、図面もなく家を建てていたそう。

常光寺さんの前の海へ向かう道。
家々がガクガクに並び、道がぐねぐね、きっとタモリさんが好む道!
十字路がズレているのは、防衛のため?風水の関係?

常光寺さんの前、メイン道路と平行に走る水路。
溢れた水をさっと横に流して下流を守る。

常光寺のご住職 桑守さんのお話し。
お忙しいところ、ありがとうございました!

常光寺の境内。
昔は、周りは竹やぶだった。
加賀藩からの書面にも、寺の背後は日陰の林になってもいいから植樹をしなさいとの記述が。
土石流の流れを止めるため?

常光寺さんから見える城山が、比叡山の様に見える!?
新しい泊が鬼門で、まちのおさえにお寺を置いたのでは?
とのお話しになるほど〜。

まちをブラブラ、ちょっとした不思議や宝ものが気になりだす!

木流川が氾濫し、土石流が発生した場合、泊のまちが大きな被害に合う危険性があると考えた加賀藩が、下流への被害をおさえるため、上流側に3つのお寺を並べて配置したのではないか…との説。

ゾロゾロブラブラしていたら、まちの方が、何だ何だと家から顔を出して来られて^ ^

感じたこと、気付いたことをスケッチ!

あわさい。人が通れるのは、なかさい。
25軒町では、家々がピタリくっついて壁を共有。
そこから外れるまちでは、家の建て方が違い、あわさい、なかさいが見られる。

家の下を水路が走る!
湿気ムンムン!?
石積みのカーブがいいなぁ。

脇子八幡宮へ向かう踏切の手前。
大きな池発見!
線路が、高く盛土されているのがわかる。

脇子八幡宮。
元は、城山にあったと言われており、それから元屋敷に下り、今の場所へ。
平成31年で300年を迎えるとのこと。

紋左から五叉路への抜け道。
車社会の今だと、どうしてこんなに細くてくねくねしてるんだろう?
と不思議になるけれど、昔は、これでよかったんだ!という気付き。

スケッチブックを見ながら、感じたこと、気付いたことをみんなで共有。

第二回目のブラトマリもお楽しみに~。